2024年(令和6年)12月10日 埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会 発行 ☆さいたま市大宮区高鼻町4-219
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<巻頭エッセイ>
フォッサマグナと塩の道 筑井信明(代表理事・朝霞市)
最近、「南海トラフ巨大地震注意報」が話題になりましたが、この南海トラフとは、日本列島上の2つのプレートの衝突によって西は九州、東は静岡県付近まで続いている壮大な海溝のことであるのは知られています。この「南海トラフ海溝」は静岡付近でもうひとつの北米プレートと衝突しているのですが、さらに地形的には駿河湾西部にいたり、そのまま日本列島を直線に縦断して新潟県まで北上して、陸の上でも巨大な溝状の断層地帯を形成しいます。この断層帯のすぐ西には並行する形で南北に日本アルプスの高峰が連なっていて非常に特徴的ですが、これが糸魚川静岡構造線とよばれる大地形「フォッサマグナ」です。このフォッサマグナですが、これを発見して世界に認識させたのは、明治初期に日本に招聘されたドイツの学者、エドムント・ナウマンです。滞在わずか10年の間に日本中を歩き、ほぼ完全な日本列島の「地質構造図」を完成させてもいます。しかし、この偉大な人物とその生涯は、日本国内はもちろん、ヨーロッパでも広くは知られていませんでした。こうした現状をひそかに嘆いていた一人の女性地質学者が最近(2019年)世に出したのが『地質学者ナウマン伝―フォッサマグナに挑んだお雇い外国人』です。著者の矢島道子さんは東大理学部出身の古生物学研究者ですが、この本の序文には「これを読んで天国であなたが微笑んでいただければ、これまでの文献解読や調査旅行の苦労も報われるというものです」というラブレターみたいな情緒あふれる文章が散在しています。 地形好きの私は、ここ数年、夏になると立山・黒部さらに糸魚川と、この大地形の姿を見たいと歩き回りましたが、今年は(多分)最後のアルプスということで後立山連峰の爺が岳になんとか登山の後、この断層面が実際に確認できるという糸魚川のフォッサマグナパークに行くことができました。パークといっても、大断層沿いに流れる姫川の支流、根知川が削りとった段丘の一角が保護してあり、歩いてそこまで行けるようにしてあるだけですが、説明用パネルはいくつか設置されています。注目のヨーロッパプレートと北米プレートの境界とされる地点の露頭は、保存のため回りの岩石がボルトで固定された異様な空間になっています。崖の中腹から近くに歩いていけそうですが、現在は立ち入り禁止になっています。写真のように断層の中央部の左右の岩石の色が違うのがわかります。左つまり西側が3~4億年前の古生代の岩石、東側が1600万年前の新生代の岩石だそうです。こういうはっきりとした境界は破砕帯ですから、これが地上に露出する場所は非常に珍しいのだそうです。近い将来の地震も予測・警戒されていますが、本当に謎の多い巨大断層帯です。 物資と文化を伝えた古道─大断層帯は今や地域の観光資源に
フォッサマグナ断層帯は糸魚川から太平洋岸の静岡まで続いて日本列島を2つに区分しています。これは純粋に地形現象なのですが、このラインの東西では食習慣など文化や風俗習慣まで違うという面白い説があります。地形が人間の生活に与える影響かもしれません。さて、関連があるのかどうか、この場所(根知川の谷)のほんの少し先にひとつの古道が、この断層に沿うように南北に走っています。糸魚川から最終地の信州・松本まで、明治以前の生活物資と文化の伝播に使用された交易路で、千国街道、通称「塩の道」と呼ばれます。海岸と内陸部を結ぶ塩の道は日本各地に残りますが、ここは途中に関所もある重要な街道でした。とはいえ、この付近の陸路は険峻な山々と急流に挟まれ、山々の間を縫うように延々伸びていますので、そうでなくても楽ではない上に、日本有数の豪雪地帯ですから、重い背負子を担いで実際の運搬にあたった歩荷(ボッカ)と呼ばれる人足集団の数頭の牛を追いながら歩く苦労は大変だったでしょう。明治に入り国道が整備され、馬による輸送さらに自動車、鉄道による輸送が可能になるに従い使用頻度は減りますが、現在でも、先日の能登半島地震の際には緊急道路の指定がされています。 この素朴な街道の各所に残る石仏や休憩小屋・泊込小屋でその実態を偲ぶことができますが、沿線自治体ではこの「塩の道」の観光資源としての価値を評価し、全区間を整備、歩いてまわれる「ロングトレイル」と位置づけ、案内パンフや詳細な地図を作製しています。日本アルプスの景観を見ながらフォッサマグナに沿って進むというこの地の魅力は大きいと思います。夏の暑さの残る時期だったので、今年は少ししか歩けませんでした。来春の再挑戦を予定しています。(写真は長野県小谷村の公式サイトから) |
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